ここではなぜ管理人である「めだか」が水族館にまつわる情報を発信しようと思ったのかお話しします。
父が水族館で働く姿を見て育つ
私は地方のある田舎町に産まれました。都会の方にどれくらい田舎かと説明すると、
- 学校のクラスは中学まで1クラス
- 電車は一時間に一本(終電も早い)
- 最寄りのコンビニまで徒歩30分(現在も)
- 娯楽施設は小型のゲームセンター、カラオケのみ(自転車で1時間弱)
といった具合です。
これを聞いたシティーボーイ、ガールはこの時点で愕然とします
町の近くには小さな水族館もありました。
その水族館に父が務めていることもあり、夏場になると毎週のように海や港へ生物を採取に行き、水族館に足を運んでは生意気に企画展の展示を手伝わせてもらっていました。手伝った展示が公開される日には、水槽の近くに張り付いて、怪しまれないように来館者の反応を見ていることもありました(笑)
自分が手伝った展示を来館者に見てもらい興味や関心を持ってもらうことが当時とてもうれしかったことを覚えています。
このように海の生物を知り、それを人に伝えるという環境が身近にありました。
そうした中で、
- 自分のやりたいことを自由に行動・表現する(もちろん責任は伴いますが)
- 自分が考えた展示をお客さんに楽しいんでもらう
- 自分の展示がきっかけで海の生き物などに関心を持ってもらうこと
について幼いことから関心がありました。
地元同級生の冷やかし
生き物と触れ合う環境で育った一方で、クラスメイトにはそのことをよくからかわれていました。
人口の少ない閉鎖的な環境では、人と違うことをすると良くも悪くも目立ってしまいます。
「水族館なんてつまらない・飽きた」「犬や猫のほうが可愛い」「変な仕事だ」など、水族館の手伝いを話すとこのような言葉が返ってくることがありました。
当時結構生意気な性格であった自覚があり、それが原因なこともあります
小学生低学年の頃は気に留めていませんでしたが、思春期が近づくにつれて、周りの冷やかしを過敏に気にするようになり、水族館や生き物話をするのが怖くなり、やがて水族館にも足を運ばなくなりました。
要は自分が傷つくのが嫌になったわけです。
家族にも当時の葛藤から身勝手な態度をとることがありました。
高校生となり、本格的に進路について決める時期とになった時期にも、自分は人生で何がしたいのかという進路(価値観)が分からなくなっていました。
漠然と看護分野を目指そうした時もありました。
しかし、親や担任の先生方の粘り強い説得もあり、水産分野がある大学に進学しました。
上京後、再び飼育員の夢へ
進学してみると、地元では思いもよらなかった出来事の連続でした。
専門分野の大学だけあって水族館や魚好きが多く集まり、とても楽しそうに会話していました。
- 授業をサボって夜通し釣りに行く釣りバカ
- 好きな生き物の話をマシンガントークで自分が満足するまで離さない生物マニア
- 透明標本作りすぎて自分の指先まで薬品で染色されているマッドサイエンティスト
などこちらがドン引きするくらいの変態もいました(褒め言葉です)。
この経験からいかに自分の視野や環境が狭かったのか実感しました。
正に井の中の蛙でした
地元ではたまたま興味のない人としか関われていなかったと知ることができ、自分の環境や交友を広げてみると、反応を返してくれる人がいるのだと知ることができました。
それこそ自分がいくらぶしつけな態度をとろうとも見放さなっかった両親や、諦めないで進路先を探し、説得してくれた担任の先生方のおかげでもありました。
一度は聞くのも話すのも考えるのも嫌になった水族館飼育員の夢。
このまま、一度も働きもしないで過ごせば一生後悔する。
もし仕事が合わなくてもその時考えよう。
そんな思いで大学3年の春、遅ればせながら水族館飼育員の夢を再び目指し始めました。
飼育員になるまで
こうして再び飼育員を志そうと思った私ですが、実際に決意したのは大学三年生の頃でした。大学入学ないしは高校在学時にすでに水族館を志していた同学年の学生とはインターンの経験などで大きな遅れが出ていました。
正直なところ、自分の中には周りに対しての劣等感が芽生えていました。
ただでさえ水族館の求人は少なく、倍率も高くなる傾向があります。周りはずっと勉強や経験を積んできているのに、自分なんかが本当に飼育員になれるのか?なれたとしても仕事をこなせるのか?など、周りの学生の情報などが気になってしまい、そういった不安に押しつぶされそうな日もありました。
そんな中、ある言葉が私の目に留まりました。
「劣等感を抱くこと自体は不健全ではない。劣等感をどう扱うかが問われているのだ。」
これはアドラー心理学で有名な心理学者アルフレッド・アドラーの言葉です。
当時は名前も知らなかったのですが、この言葉を見た時、頭に衝撃が走ったことを鮮明に覚えています。
結局のところ、劣等感とは誰にでもあるもので、周りと比べることに注目するのではなく、自分を今よりも良くすることに注目するほうが限りある人生を楽しく使えると気づくことができました。
そこでそもそも自分の人生で何故飼育員になりたいのか考えなおして思い出したのが、以下のことでした。
- 自分が考えた展示をお客さんに楽しいんでもらう
- 自分の展示がきっかけで海の生き物などに関心を持ってもらうこと
そうすると自然と周りがどうだというのは気にならなくなり、自分がなりたい飼育員をどう実現していくかを考えて日々を生活するように心がけました。
私の場合、水族館飼育員になるのが目的というわけではなく根本には、「自分のやりたいことを自由に行動・表現する」という目的(価値観)がありました。
その目的(価値観)の手段として水族館飼育員になるという軸ができたわけです
未熟なりに自分の価値観を実現するにはどうするかを考え続けた結果、水族館の館長(運営)を目指すというバカげた目標を持つようになりました(笑)
このバカげた目標を実現するためにどうするかをない頭で考え、時間は限られていましたが必要な知識や経験を積み重ねました。
結果的に、大学から新卒で水族館に就職という一般的なコースではなく、他の業種の経験を積むことで現在勤めている水族館で働くことが出来ました。
なぜ水族館の情報発信するのか
このようなバカげた目標を達成するためには、ただ業務をこなしているだけでは不可能です。
そのため、仕事とは別に水族館についての知識を身につけようと考えました。
しかし、人間は明日には学んだことの75%を忘れてしまうというように、ただインプットするだけでは意味がないと考え、以前の自分のような
- 将来水族館をはじめとした魚や生き物に携わる仕事に就きたい方
- きっかけがあれば生き物について学びたいと思う方に向けて
アウトプットの意味も含めて情報発信をしようと考えたのがきっかけです。
そうすれば、私のように学ぶタイミングが遅い人や専門分野でない人でも専門的な知識を学ぶことができると考えているからです。
知識がつけば、飼育員など専門職へつく可能性が上がるのはもちろん、より生き物についての関心も深まっていくと自分の事実ベースで確信しています。
10年先の未来は誰にもわかりませんが、自分の出来ることや視野を広げながら、自分の価値観に納得できるような人生にできるよう、皆さんと一緒に学んでいければうれしいです!